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2018年2月 3日 (土)

「大正の后」

植松三十里「大正の后(きさき)」 PHP研究所

明治、大正、昭和、平成。
平成も終わりが見えるようになった今、大正天皇の時代のことをどれほど知っているでしょうか。

大正天皇の妻、貞明皇后の伝記小説です。
九条家の三女節子(さだこ)は、当時の風習で、幼いうちは農家の里親の元で、のびのびと育った。
いかにも健康だったのが、お妃に選ばれる決め手となったという。
15歳で、皇太子と結婚。
東宮嘉仁(よしひと)のちの大正天皇は、子供の頃の脳膜炎が原因で身体が弱く、学校を休みがちだったり、毎年の静養を必要としていました。
若い皇太子妃は、慣れない宮中のしきたりに苦労することになります。

父の明治天皇はそれまでの慣習通り側室が何人もいたのですが、夭折した子も多く、皇太子は家族との縁が薄い育ち。
夫妻はどちらも側室の出生でそのことに悩み、側室を置かないことにしました。
幸い夫婦仲は良く、現代よりは堅苦しくともまずは幸福な家庭だったようで、4人の男子に恵まれます。
現代の皇室って、ほとんどここで出来上がったようなものですね。
当時は貴族もいて、皇室を支える層が戦後とは違ったわけですが。

明敏な皇后は天皇に寄り添い、天皇が病に倒れたあとは皇室を取り仕切り、元老とも渡り合ったとか。
大正天皇はやや病弱であったのを誇大に伝えられていたようで、奇行があったという説は事実と違うそうです。
その皇太子(のちの昭和天皇)が20歳のときには摂政となったので、昭和天皇の時代が長いんですね。
皇太后となった節子は、戦時中も疎開することを拒み、気丈に振る舞ったとのこと。
それほどの女性だったとは知りませんでした。

江戸時代までの天皇は、女官たちにかしづかれて宮廷の奥深くで暮らしていた。明治天皇もそう育ったが十代のある日、政治の表舞台に立たされた。
国の代表として軍も統帥し、雄々しくあるようにと求められたのは最近のことなのだと、節子が理解するところがあり、そう言われればなるほど‥
形を求められても、当時から実権がそうあるわけでもない。

天皇家も激動してきたのですね。
そして今も変わりつつある?

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