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2011年2月25日 (金)

「赤めだか」

立川談春「赤めだか」扶桑社

立川談志の弟子・談春が、17で弟子入りを望んだいきさつから、修業時代のあれこれを面白おかしくつづった体験記。

談志に惚れ込んで弟子入りを願い出て、親の反対を押し切り、新聞配達をしながら入門。しかし、眠くて適当にやっていたので苦情が多く、部数を減らしてしまったとか。
談志の個性は、強烈!
なんとも想像じゃ書けないよね~これは。

妻子は新宿のマンションに住み、談志と弟子が広い一戸建てに。
生活の面倒は見ないと宣言されて、食べるものを工面するのにも悩む弟子たち。
落語協会を辞めてしまった後なので、寄席に出るということが出来ず、大の大人がほとんど全員家にいて、どの部屋を開けても弟子が掃除をしているという。
礼儀も何もなっちゃいないのを面倒見切れないよと、4人まとめて魚河岸に1年修行に出されてしまうのでした。

最初は談秋、談春と並び立つ弟子がいたそうですが、これが脱サラしてきた大人なのにパニックに陥りやすい不器用な男で、はやばやと辞めてしまうことに。
庭の金魚が大きくならないので、弟子達は「赤めだかだ」とばかにして笑っていたのですが、これに「餌をやれ」と言われた談秋は、真面目にお麩を一本ほぐして入れてしまう有様だったそうで。
別れの時に「あなたならやれる、いい落語家になれる」と言われた切なさ。

談春は、風邪を引いているのを師匠に移してはいけないと、談志に稽古をつけてやると言われたときに断ってしまった。それで呆れられ、語りぐさにされて、一時は口もきいて貰えなくなってしまうんですね。
失敗ばかりでおいおいっな青春期だけど、ダメなりの理屈や、ちょっと破滅型になりかけの感じもまた落語にありそうな。

落語家になるには弟子入りするしか方法がなく、前座から二ツ目、そして真打ちになるんだそうです。
二ツ目になるには、落語協会には明確な規定がないのを、談志は問題としました。
談志は根多を50覚えること、鳴り物を一通り出来るようになること、歌舞音曲が出来るようになること、という条件を決めたんですね。その出来映えは談志の判断次第ではありますが。
50というのは普通は数年で覚えるのも難しいらしいですが、志の輔が2年で覚えたため、越えられるハードルをみなされることに。
談春は、徹夜で覚えて当日は遅刻、50書き出した紙も忘れ、必死でその場で書いたものの、最後に書いた寿限無をやれと言われてパニックに。

米朝にも落語を教わったことがあるとは。
いい話だなあ…
真打ち昇進の時に連続で会をやったというのは記憶にあります。
このとき、小さんをゲストに招いたんだねえ。
落語協会を批判した談志を立場上破門せざるを得なかった小さん師匠。おたがいに認めながら和解にまでになかなか至らなかった胸中が偲ばれます。
落語の将来への思いも。

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